沿革
1950年代
(昭和25年)
公営バスから民移管し、沖縄バス株式会社創業。
資本金1,000万B円。
代表取締役中山良輔ほか取締役6名、監査役3名、株主95名、従業員119名。
真和志村安里(現那覇市安里)に本社と整備工場を構え、那覇、神里原、糸満、石川、屋慶名、本部、今帰仁、辺土名に出張所を開設。
いすゞ製ボンネットバス2台、GMCトラック12台で運行開始。
(昭和26年)
読谷出張所開所
ガーブ出張所開所
(昭和28年)
沖縄自動車貿易株式会社(現沖縄ふそう自動車株式会社)創業
(昭和29年)
リアエンジンバス初導入
(昭和29年)
現那覇市役所敷地に仮の那覇バスターミナル開所
(昭和30年)
一般貸切旅客自動車運送事業認可
(昭和31年)
南部定期観光バス運行開始
(昭和31年)
中部定期観光バス運行開始
(昭和31年)
石川バスターミナル、屋慶名バスターミナル開所
(昭和32年)
久志出張所開所
(昭和33年)
B円からドルへ通貨切替
(昭和34年)
読谷バスターミナル開所
名護バスターミナル開所
那覇バスターミナル開所
久志バスターミナル開所
1960年代
(昭和35年)
石川出張所廃止
(昭和35年)
観光事務所開設
(昭和35年)
冷房付き観光バス初導入
(昭和39年)
親慶原出張所開所
(昭和40年)
本部・今帰仁出張所廃止
(昭和41年)
辺土名出張所を廃止し、共用駐車場へ移転(現辺土名バスターミナル)
(昭和43年)
読谷線ワンマンバス実施。以後、順次路線バスのワンマン化を実施。
旭町整備工場落成。
(昭和44年)
国内旅行業登録(沖縄県知事登録第1号)
1970年代
(昭和45年)
定期観光Dコース運行開始(海中公園と東南植物楽園めぐり)
(昭和47年)
本土復帰に伴い通貨がドルから円へ切り替わる
屋慶名バスターミナル移転
昭和48年
玉泉洞定期観光バス運行開始
(昭和50年)
海洋博会場直行バス運行開始
伊豆味線ワンマンバス実施、これにより全路線のワンマン化が完了
糸満バスターミナル移転(現在のバスターミナル)
(昭和51年)
海洋博会場直行バス運行終了
(昭和53年)
交通方法変更(730)により左側通行へ
(昭和54年)
名護整備工場落成
1980年代
(昭和55年)
創立30周年祝賀会開催
(昭和58年)
名護バスターミナル移転(現在のバスターミナル)
(昭和62年)
那覇市安里から泉崎へ本社移転
(昭和63年)
那覇空港~名護間、高速バス運行開始
1990年代
(平成2年)
旭町整備工場改築・バス車庫・観光部事務所落成
(平成3年)
観光部を那覇市泉崎から那覇市旭町へ移転
(平成3年)
本社ビル新社屋落成
(平成5年)
北部支線、琉球バス(現琉球バス交通)との共同運行を開始
(平成7年)
久志バスターミナル廃止し、名護営業所(現名護出張所)へ統合
安慶名駐車場を開所
(平成8年)
糸満線・読谷線、琉球バス(現琉球バス交通)との共同運行を開始
(平成10年)
初の女性運転手採用
空港リムジンバス運行開始
名護西線・名護西空港線、琉球バス(現琉球バス交通)との共同運行を開始
(平成11年)
屋慶名バスターミナル移転(現在のバスターミナル)
2000年代
(平成12年)
安慶名駐車場閉鎖
(平成16年)
ワンステップ低床バス導入開始
(平成16年)
首里地域コミュニティバス実証実験運行(現在の首里城下町線)
(平成20年)
特定労働者派遣事業登録
(平成21年)
読谷村より委託を受けコミュニティバス(鳳バス)の運行を開始
2010年代
(平成22年)
創立60周年記念誌発行
(平成24年)
社団法人日本バス協会「貸切バス事業者安全性評価認定制度」認定取得
(平成25年)
ノンステップ低床バス導入開始